冨安志穂【電気仕掛けのオペラ座の小さなクイーン】

冨安志穂:肉体を捨てたストーリーテラー

彼女はちょっと前までバンドのボーカルだった。
monouiという、すごく好きなバンドだった。

>>>monouiのレビューはこちら

バンドの持つ肉体性と、冨安志穂の持つ「自己愛の繭」の中で流れるダンスミュージックが面白いバランスだと思ったんだけど。

彼女に「肉体」はいらなかったのかもしれない。
楽曲を作り、オケをバックに歌う彼女のソロステージを見て、そう思った。

40〜50歳代の僕のような年配が彼女のライブを見ると、頭の中にワードが浮かぶはず。

彼女は

  • エレクトリックな中森明菜であり
  • 戸川純の激情を持つ2.5次元の住人

だと。

 

冨安志穂:彼女は彼女の世界に住んでいる

彼女にとってライブはエンターテイメントではない。
自分が感じ、傷ついた事柄をえぐり、見せてくれる。
彼女の傷は生々しくもあり、美しくもある。
流れ弾をくりぬいた手術痕は、太古の生き物の脊椎のように純粋だ。

かさぶたを剥ぎ

「あなたにも同じような傷があるでしょ?思い出した?」と言ってるようだ。

メロディやサウンドは暗く激しいのだけれど、感情のおもむくままに吐き出しているわけではない。
それだったら子供のダダと同じだ。

冨安志穂には素晴らしい楽曲があり、首尾一貫、彼女の美学が詰まったオーケストラがある。

夢見るようなサウンド。
憂いを秘めながらもキラキラとしたサウンド。
ベース音が唸る。

カバー曲でさえ、自分でオケを作るそうだ。

001

 

冨安志穂:NO call &response

手拍子という「肉体的参加」でライブを楽しむのもオーケーだ!
でも冨安志穂のステージにはいらない。

悲しみや暗い夢想や妄想を持たない、持ったことのない人がもしいるのなら、彼女のステージから得るものはない。

痛みを、ショーに昇華して楽しもうじゃないか!

冨安志穂の最終形態は「オペラ」だと思う。
彼女の書いた複数の楽曲が、ちょっとした舞台装置と照明によって語られるとき。
ライブハウスはオペラ座になる。
いや、旅芸人のサーカス座かもしれないが。

一曲一曲に込めた想いがもっともっと濃く繋がって、息もできないような迫力を見せるためにはMCもいらない。

映像作品もいいかもしれないけど、彼女には舞台が必要だ。
思い切り手の込んだ悲喜劇が見たい。

003

ご意見・ご感想・応援など メッセージいただけるとうれしいです。 >>>こちらからコメント受付中!



images

FACEBOOK友達申請よろしくお願いします。 感想などメッセージいただけると励みになります! >>安田クニヒデ です。

>>サニーのエッセイのようなものはこちらにも 読んでもらえるとうれしいです